発行年 | 号数 | 目次 | 執筆者 | 頁数 |
1983 | 創刊号 『筑波ドイツ文学研究』 |
KHM序文にみられる≪純粋性≫ | 小澤俊夫 | 3 |
『デミアン』における救済の意味について | 宮崎泰行 | 17 | ||
“Der Ackermann aus B?hmen”における過去時制について ―作品解釈のひとつの視点として― |
工藤康弘 | 29 | ||
『フンボルトの内的言語形式と感情メタファー』 ―文学的視点からの内的言語形式の解釈― |
鈴木康志 | 45 | ||
1984 | 第2号 | ペーター・ハントケ『左利きの女』における小説技法の特異性 | 平野卿子 | 1 |
F.Schiller "Maria Stuart”試論 ―疎外された人間関係― | 島谷謙 | 13 | ||
『マルテの手記』における「語り」の問題 | 三宅光一 | 30 | ||
"Erfühlung”という概念について | 鈴木康志 | 46 | ||
ルター聖書における接続法の形態論的考察 | 工藤康弘 | 61 | ||
「in+基数+名詞についての一考察」 | 小沼喜好 | 79 | ||
1985 | 第3号 | ニーチェの動物形象 ―ツァラトゥストラの動物(蛇と鷲)を中心に― |
鈴木康志 | 1 |
幼年時代 ―ゲオルク・トラークルの詩と実存に関する一考察― |
高橋喜郎 | 15 | ||
詩における言葉の衝突 ―G.ベンの試論について― | 伊藤満広 | 29 | ||
Rilke und seine Lehre von der Liebe | Mitsukazu Miyake | 42 | ||
1986 | 第4号 | Plötzlich+状態について | 小沼喜好 | 1 |
言語の対照研究についての一考察 ― ドイツ語と英語の語順をひとつの例に用いて ― |
畠山勝彦 | 11 | ||
北欧文学にみる≪幸運≫ ― hamingjaに関する一考察 ― | 岡田和子 | 24 | ||
カフカの≪判決≫と≪変身≫における 悪魔的なものについての考察 |
高橋喜郎 | 39 | ||
ネストロイにおける笑いについての一考察 | 志賀浪優子 | 51 | ||
(特別講演)ゲーテの少年期における宗教の概念 | ゴットホルト・ミュラー | 68 | ||
(特別講演)ゲーテの「疾風怒濤」時代における宗教の概念 | ゴットホルト・ミュラー | 75 | ||
1987 | 第5号 | 「指示」「代用」「省略」と名づけられている用語の テキスト分析における問題点について |
畠山勝彦 | 1 |
ギリシア的姿勢 ―キーツとリルケの詩句の場合― | 三宅光一 | 12 | ||
詩における主体の問題についての予備考察 | 伊藤満広 | 25 | ||
ERFAHRUNGEN MIT DEM DEUTSCHUNTERRICHT | Karlheinz Kress | 33 | ||
Eine Analyse vom Abschnitt 1 und 2 des Ⅴ.Kapitels “Die Weltauschauung Lessings” des Lessing-Essays aus Wilhelm Diltheys ‘Das Erlebnis und die Dichtung’ ― nach methodologischen Gesichtspunkten |
Ryoko Sugimura | 38 | ||
1987 | 第6号 | キーツとリルケの秋の歌 | 三宅光一 | 1 |
トラークルの横顔 ―リムバッハの証言についての一考察― |
高橋喜郎 | 15 | ||
R?mische Elegien -Die Erneuerung der antiken Geisteswelt- | Kiyoshi Murata | 28 | ||
北欧幽霊事情(1) | 岡田和子 | 41 | ||
Eine Betrachtung des Deutschunterrichts an der Universität Tsukuba |
Hedwig Miyashita | 56 | ||
1988 | 第7号 | ヴュルツブルクとパリへの旅について ―ハインリッヒ・フォン・クライストの手紙から― |
高橋喜郎 | 1 |
「夜明けの黒いミルク」をめぐって | 伊藤満広 | 15 | ||
Die Beziehung der Römischen Elegien auf die antike Dichtung | Kiyoshi Murata | 23 | ||
北欧幽霊事情(2) | 岡田和子 | 39 | ||
1991 | 第8号 | 1930年代のE.トラー | 島谷謙 | 1 |
ニーチェとWissenschaft ―言語とのかかわり― | 石井慎一郎 | 15 | ||
『シッダルタ』における‘unterwegs’の意味 ―その宗教思想的一面― |
宮崎泰行 | 29 | ||
Tertium Comparationis について | 小沼喜好 | 41 | ||
『ファウスト』におけるPudelの意味 | 片岡慎泰 | 51 | ||
1992 | 第9号 | ファウストの罪と救済について | 片岡慎泰 | 1 |
悲喜劇 “Das weite Land” におけるSpielの一考察 | 岩田正之 | 23 | ||
『道徳の系譜』における主人道徳と奴隷道徳 | 石井慎一郎 | 43 | ||
オットー・リッカーとヘッセ ―敬虔主義の流れをめぐって― | 宮崎泰行 | 55 | ||
マルテの隣人ニコライ・クスミッチュ 時間に取り憑かれた男の話 |
三宅光一 | 65 | ||
B?nkelsang | Jutta Kowallik | 87 | ||
1994 | 第10号 『RHODUS』 |
退官にあたって | 小澤俊夫 | 1 |
「もうひとりのグリム」のメルヒェン集 | 小澤俊夫 | 13 | ||
狼と7ひきの子山羊 ―エーレンベルク稿から決定版に至るまで のグリム兄弟による文章の変遷― |
虎頭惠美子 | 27 | ||
Kleine Ausgabe der Kinder - und Hausmärchen ―その成り立ち,構成,特徴― |
間宮史子 | 79 | ||
ヴァイマルにおける『ファウスト』演出について ―「天上の序曲」を中心としたその特色と問題点― |
片岡慎泰 | 93 | ||
リルケの「古代のアポロのトルソー」 | 秋葉宏子 | 107 | ||
リルケにおける鏡の形象と自己の問題 ―『マルテの手記』三十二番目の断章を中心として―(その二) |
三宅光一 | 119 | ||
『ニーベルンゲンの歌』における蜜酒 | 石塚茂清 | 137 | ||
1995 | 第11号 | 感情と理性の相剋 ―A.シュニッツラーの初期ドラマ『メルヒェン』から― |
岩田正之 | 1 |
ブラームス作曲〈四つの厳粛な歌〉Op.121 ―神への懐疑をめぐって― |
関根裕子 | 19 | ||
DER GANZ NORMALE, WAHNSINNIGE ALLTAG …dazu Liebe, Leid und all das Zeug in den Filmen und Prosastücken der Doris Dörrie |
Jutta KOWALLIK | 33 | ||
ウルム大学およびウルム大学の日本語教育について | 小沼喜好 | 45 | ||
ドイツ滞在を振り返って | 秋葉宏子 | 49 | ||
テュービンゲン | 洲崎惠三 | 53 | ||
1996 | 第12号 | ホフマンスタールの作品における夢と現実の諸相 | 坂巻隆裕 | 1 |
ホフマンスタールに映ったブラームスの音楽の現代性 | 関根裕子 | 15 | ||
Kooporation der Universitäten Bayreuth und Tsukuba: Professor Alois Wierlacher zu Besuch in Tsukuba |
濱田真 | 33 | ||
Wie soll man Gedichte erforschen? ―Rilkes Rezeption in Japan― |
秋葉宏子 | 35 | ||
Nachahmung oder Nacheiferung ? ―J.G.Herders Theorie der Hermeneutik und Herder-Rezeption in Japan― |
濱田真 | 47 | ||
Der Aspekt des Judentums bei Arthur Schnitzler in Bezug auf die interkulturelle Germanistik und Problemstellung |
岩田正之 | 49 | ||
Interkulturelle Beziehungen zwischen deutschen und japanischen Phraseologismen und ihre Anwendung auf Deutsch als Fremdsprachenunterricht |
伊藤眞 | 57 | ||
1997 | 第13号 (瀧内槇雄教授退官特集号) |
『ファウスト』の一行について ―瀧内君に寄せて― | 小栗浩 | 1 |
独語独文科草創の頃 | 瀧内槇雄 | 5 | ||
瀧内槇雄先生のご退官に寄せて | 秋葉宏子 | 8 | ||
A.シュニッツラーの『ベルンハルディ教授』 ―作品構造の視点から― |
岩田正之 | 11 | ||
反抗するオフィーリア ―女性解放の視点からみた ハイナー・ミュラーの『ハムレット・マシーン』― |
寺島政子 | 25 | ||
《クライスレリアーナ》文学と音楽の間 ~楽長クライスラーの狂気~ |
関根裕子 | 38 | ||
魔術師と誘惑者 ―トーマス・マンとヘルマン・ブロッホの作品に みる小説の方法― |
坂巻隆裕 | 55 | ||
「見る」という行為 ―R.ムージル『寄宿生テルレスの惑い』小論 | 山方彩子 | 66 | ||
光と闇の婚礼・鷲と蛇の動物象徴についての一考察 ―ニーチェとクロイツァー― |
新町貢司 | 79 | ||
異文化をどう理解し、異文化圏でどう行動すべきか | 小沼喜好 | 91 | ||
デルフト教授法の理念と問題点 ―成人向けの外国語教育の在り方を考える |
岡本順治 | 103 | ||
日独慣用句の具象性と意味機能 | 伊藤眞 | 118 | ||
『ニーベルンゲンの歌』における弦楽 | 石塚茂清 | 131 | ||
花に嵐の20年 ―“痛ましい混乱”の終幕― (筑波大学新聞、1992年11月16日) |
洲崎惠三 | 148 | ||
「嵐も浮かむ花の波」 (ラテルネLaterne 68号、1992年9月15日) |
洲崎惠三 | 150 | ||
1998 | 第14号 | ドイツ文化との対比による日本語教育での文化 | 小沼喜好 | 1 |
Polnische Motive in den dramatischen Werken von Franz Theodor Csokor |
Barbara Skirmunt | 13 | ||
『ニーベルングの指輪』におけるMinne ―Liebeとの対照を通して― |
立石拓也 | 27 | ||
翼ある獅子 ニーチェ『ツァラトゥストラ』における上・下の描写と 神話的な二元性について |
新町貢司 | 41 | ||
避難所としての「庭」 H.v.Hofmannsthal『第672夜のメルヘン』 とL.v.Andrian『認識の園』 |
関根裕子 | 55 | ||
マックス・フリッシュの『アンドラ』における「証言台」の意味 | 寺島政子 | 71 | ||
Germanistik virtuell-Ressourcen im Internet | Christian Andersen | 83 | ||
1999 | 第15号 (加藤慶二先生・洲崎惠三先生退官記念号) |
在り去りて | 加藤慶二 | 1 |
電光朝露石の火の光の間とぞ思へ」 ―謡曲『葛城』― | 洲崎惠三 | 5 | ||
Metaphorik für die Geschichtsphilosophie. Beobachtungen an Herders Metaphern in den “Ideen” |
Makoto Hamada | 11 | ||
〈愛=死〉を包摂するもうひとつの愛の原理について ―『ニーベルングの指輪』研究の序説として― |
立石拓也 | 27 | ||
〈愛=死〉と〈没落〉の両概念の接点について ―1854年1月25-26日の書簡を中心に― |
立石拓也 | 41 | ||
正午の瞬間,完全なる世界・『ツァラトゥストラ』における 神話的二元性の問題およびその解体の可能性について |
新町貢司 | 53 | ||
偉大なる王の夢・『第672夜のメルヘン』における 前存在と閉じこもりのモチーフについて |
新町貢司 | 67 | ||
Das Mozartbild bei H.v.Hofmannsthal | Yuko Sekine | 79 | ||
リルケとホーフマンスタール ―二人の詩人のオーストリアとの関わりに関する一考察― |
秋葉宏子 | 93 | ||
Masseの変容 ―E.トラーの4つの戯曲から― | 岩田正之 | 103 | ||
Der Erste Weltkrieg in der deutschen Literatur am Beispiel von Ernst Jünger und Erich Maria Remarque |
Gerhard Hackner | 117 | ||
『ホモ・ファーバー』の神話採用について | 坂巻隆裕 | 131 | ||
マックス・フリッシュの『Biografie : ein Spiel』 ―人生は偶然か必然か― |
寺島政子 | 141 | ||
Entstehung und Entwicklung der Universität in Europa von ihren Anfängen bis zum Ausgang des Mittelalters |
Jutta Kowallik | 151 | ||
日本人は外国人とどう接しているか ―国際化と配慮の観点から― |
小沼喜好 | 171 | ||
慣用句的意味の成立要因について | 伊藤眞 | 185 | ||
概念構造の合成と再帰代名詞―分離接頭辞durchをめぐって | 大矢俊明 | 199 | ||
Das System der Verbalformen und die Herausbildung des "Futurs″im Deutschen |
Susumu Kuroda | 211 | ||
Aus der Hohen Warte (Wien) カール・モルの庭 | 関根裕子 | 227 | ||
2000 | 第16号 | スピノザとヘルダー ―「存在の連鎖」受容の一側面― | 濱田真 | 1 |
Der >Ring< als Text. Ein Beitrag zur Wirkungsgeschichte zwischen 1863-1889. Eine Fragestellung. |
Takuya Tateishi | 15 | ||
Die >Ring< -Parodien von Uwe Hoppe. Ein Textgleich. | Takuya Tateishi | 25 | ||
ヘーゲルのゾロアスター,ニーチェのツァラトゥストラ | 新町貢司 | 37 | ||
ユ-ゲントシュティールと世紀転換期文学 | 坂巻隆裕 | 49 | ||
ホーフマンスタールの映画観 ―「夢の代用品」を中心に― | 関根裕子 | 61 | ||
ローベルト・ムージル『生体解剖氏』小論 ―『ヴァリエテ』解釈を中心に― |
山方彩子 | 73 | ||
20世紀のグノーシス ―アドルノとヘッセを例に― | 新町貢司 | 83 | ||
ギュンター・グラスの“Kopfgeburten oder Die Deutschen sterben aus” ―未来の克服― |
岡山具隆 | 97 | ||
グラスにおける逃避志向 | 依岡隆児 | 109 | ||
医療相談に見られる決定疑問文での返答の言語ストラテジー | 小沼喜好 | 121 | ||
2001 | 第17号 | 作家によるヴァーグナー評 ―19世紀後半,ドイツ語圏に限定して― |
立石拓也 | 1 |
『母権制』の様々な解釈について | 新町貢司 | 13 | ||
R.ムージル『メロドラマ「黄道十二宮」の序幕』における アレゴリーについて |
山方彩子 | 25 | ||
ギュンター・グラスの『鈴蛙の呼び声』 ―Unkeのモティーフについて― |
岡山具隆 | 37 | ||
西欧文学の中の両性具有と性差 | 三宅光一 | 49 | ||
Vorarbeiten zu Untersuchungen ?ber die sprachliche Universit?t von Negationspr?fixen. Negative Pr?figierungen in verschiedenen Sprachen - eine Universalie? |
Michael Haas | 67 | ||
ドイツ語の質問文について ―特に決定質問文の場合― | 小沼喜好 | 77 | ||
2002 | 第18号 | 『ドゥイノの悲歌』における具象性 ―月桂樹の象徴を中心にして― |
秋葉宏子 | 1 |
神話の中の「回帰」と「発展」 ―マンとボイムラーの神話観について― |
新町貢司 | 15 | ||
『鈴蛙の呼び声』における死の諸相について ―政治的メッセージとしての第四の時間Vergangenkunft― |
岡山具隆 | 25 | ||
『ブリキの太鼓』の映像化をめぐって ―文学と映画のコラボレーション― |
依岡隆児 | 39 | ||
クリスタ・ヴォルフのメッセージ ―「カッサンドラ」における滅亡の問題― |
落合直子 | 53 | ||
「質問―返答」構造について | 小沼喜好 | 69 | ||
2003 | 第19号 | "Der Schwärmerskandal"とムージルの演劇観 | 山方彩子 | 1 |
グラスの『蝸牛の日記から』における 公共性(?ffentlichkeit)の問題 |
岡山具隆 | 9 | ||
Caribaldi, der zum Scheitern verurteilte Künstler - "Die Macht der Gewohnheit" von Thomas Bernhard im Vergleich mit "Mario und der Zauberer" Thomas Manns - |
Masayuki IWATA | 21 | ||
均衡の帰結 ―ボートー・シュトラウス『イタカ』における再演劇化の試み |
落合直子 | 33 | ||
2004 | 第20号 (井上修一先生退官記念号) | 定年雑感 | 井上修一 | 1 |
松居松葉による『エレクトラ』の日本公演 | 関根裕子 | 11 | ||
世紀転換期ウイーンにおける空間「拡張」への志向 ―A.シュニッツラー『広大な大地』を手がかりに― |
岩田正之 | 29 | ||
エーリッヒ・フロムの『母権制理論の社会心理学上の意味』を読む | 新町貢司 | 41 | ||
G?nter Grass’ Im Krebsgang als literarischer Versuch eines Gegenged?chtnisses |
Tomotaka OKAYAMA | 51 | ||
クリスタ・ヴォルフ 『メディア 声』 試論 | 落合直子 | 65 | ||
研究資料 スカンジナビアのアーサー王(2) | 黒田享 | 79 | ||
2005 | 第21号 | Dimensionen von Zeit und Raum ―Veit Helmers Film Tubalu― | Herrad Heselhaus | 1 |
"Die Chronologie ist doch eine Fiktion" ―Günter Grass’ Mein Jahrhundert― |
Tomotaka OKAYAMA | 21 | ||
トーマス・マンとエドガー・ダケー『太古の世界,伝説と人類』 | 新町貢司 | 31 | ||
テオドール・シュトルムと明治,大正期の作家たち | 大山浩太 | 41 | ||
ベルリンの日本人 ―新聞が捉えた1862年のJapanesen― |
辻朋季 | 53 | ||
「物語欲求」が生み出す歴史とネーション ―グリム童話が創作したもの― |
相澤啓一 | 73 | ||
2006 | 第22号 | Zur Funktion des Wassers als strukturbildendes Motiv in Günter Grass’ Ein weites Feld |
Tomotaka OKAYAMA | 1 |
抒情詩の翻訳における「忠実さ」の多様性について ゲーテ「旅人の夜の歌」の日本語訳をもとに |
大山浩太 | 15 | ||
遠くの自然、触れない目前 ―イェリネク初期作品・詩― |
井上百子 | 31 | ||
ズィーボルトの日本研究と近代諸科学 ―植民地主義の視点から― |
辻朋季 | 55 | ||
雑誌『インゼル』における日本受容 | 依岡隆児 | 71 | ||
聖書から見た「山峡」の象徴的布置 ―荒野,山と谷,森,洞窟 |
片岡慎泰 | 83 | ||
Kathrin Rögglas Niemand lacht rückwärts und der Diskurs der Adoleszenz |
Herrad Heselhaus | 97 | ||
2007 | 第23号 | 戦後日本における戦争文学への眼差し | 市川敬祐 | 1 |
流行する「シュタイナー」 | 井上百子 | 21 | ||
宮古島「博愛記念碑」をめぐる史実と言説 - (1) ドイツ商船遭難事件と植民地主義 |
辻朋季 | 39 |
||
"Betroffenheit" - Einige philologische Überlegungen zu einem ethischen Konzept | Herrad Heselhaus |
59 | ||
Zwischen Neuerung und Stabilität: Bemerkungen zum neuhochdeuschen Lexikon | Maria G. Schmidt | 87 | ||
2008 | 第24号 | Die Liebesflug | INOUE, Momoko | 1 |
Die Zeit der Übersetzung - Walter Benjamins Die Aufgabe des Übersetzers | H.Heselhaus | 17 | ||
レニ・リーフェンシュタールと「ファシズムの美学」 | 井口祐介 | 41 | ||
文学論の素材としてのベルリンのSバーン | 大山浩太 | 67 | ||
ブロックハウス『百科事典』における「Mann」、「Frau」、「Geschlecht」の記述について | 大曽根悠 | 79 | ||
宮古島「博愛記念碑」をめぐる史実と言説 - (2)記念碑の「再発見」と「博愛美談」の誕生 |
辻朋季 | 99 | ||
2009 | 第25号 | Nomadentum und Intertextualität in Thomas Arslans Film Ferien | INOUE Momoko | 1 |
Der beste Erzähler der Welt - Astrid Lindgrens "Karlsson pa taket" | H.Heselhaus | 17 | ||
ゼーバルトの『移民たち』 - 「マックス・アウラッハ」を中心に | 中野有希子 | 43 | ||
クリスティアン・モルゲンシュテルンDer Werwolf試論 | 大山浩太 | 55 | ||
ドイツ映画に見る「移民」の概念 - ファスビンダーからアキンまで | 井口祐介 | 69 | ||
ドイツ新聞に見られる宮崎駿監督 | 三宅光一 | 89 | ||
カール・フローレンツの初期日本研究をめぐって | 辻朋季 | 119 | ||
「母の日」における記事にみる男性と女性 - ヴァイマル期末「フェルキッシャー・ベオバハター」から |
大曽根悠 | 139 |
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